映画化:書評:マチネの終わりに 平野啓一郎 感想 あらすじ モデル 過去は未来次第
書評書いたときは、予想できませんでしたが
Contents
映画化が以下の内容で発表されました。
映画『マチネの終わりに』
公開時期:2019年秋
監督:西谷弘
原作:平野啓一郎「マチネの終わりに」
出演者:福山雅治、石田ゆり子
©2019「マチネの終わりに」製作委員会
石田ゆり子 – 通信社ジャーナリスト・小峰洋子役
福山雅治 – 天才ギタリスト・蒔野聡史役
石田ゆり子はこの小峰洋子のイメージに、理想主義的で少女的な部分を持ち続けている大人の女性のイメージがあっているように思います。
福山雅治は、個人で頑張るイメージが天才ギタリスト・蒔野聡史役のイメージにある程度あっているかと思われます。ギター好きの方だし。
書評ここから
”マチネの終わりに”毎日新聞連載小説 2016年4月出版
それから、数ヶ月経て、されに売れてきているようなのですが、
芥川賞作家でもあるコメディアンの 又吉直樹が絶賛した影響もあります。
あらすじ
序 (序章でなくて ”序”と書いてあります。)実在のモデルあり。
蒔野聡史(まきのさとし 天才ギタリスト)
小峰洋子(こみねようこ 正義感と使命感に溢れるジャーナリスト)
しかも、歓喜と悲哀が交互する40歳前後で正道を踏み外しかけていたという説明で、この先を読みたくなります。
蒔野のコンサートを小峰洋子が鑑賞してその後、仲間内の打ち上げパーティーまで参加して、非常に巧みな2人だけに通じるような会話を交わすことで、初対面なのに2人が一気にお互いを運命の人と意識します。
蒔野が自分のコンサートの出来をどう評価しているか。彼が周囲を笑わすためにどの程度実話を脚色して自分を悪者にしても笑わせようとしているか、実際どのくらい繊細かを、あっさり見抜いている会話をたのしく、洋子がしてくれるのです。
だから蒔野の視点からみると、洋子を運命の人と感じるのです。洋子から見ると、蒔野の演奏で表現しているものの素晴らしい美しさと、彼の
「未来によって過去は書き換えられている。….繊細なもの」
という表現も心に残りました
ところが、そこからもう、後一歩でそれ以上親しくなれないということが、繰り返されます。
洋子はパリ在住で、イラクにも取材に行く生活。 蒔野は東京でギタリストとしても演奏に節目を感じているということで簡単に進まないのもしょうがない設定なのですが、
物語の大半が、これだけ運命的な出会いをお互いに感じながら、あーー全然上手くいかなくて切ないという出来事に費やされていて、その切なさ、やりきれなさ、それでも挫けずなんとかやっていく二人を読者が励ましたくなったり、一緒に悲しくなったりと言う気持で読み進むことになります。
その展開の中で、最初の出会いもその未来から見て、良いもの、つらいもの、色々な見え方がします。
師弟愛、家族愛、友情と多くもテーマ
親子の関係、愛も大きなテーマになっています。それも物語の最後で、洋子と父の間に、父が娘の安全を第一に願うばかりに、母と別れざるを得なかった事情も表現されます。
相手の幸せを第一に考えるあまりに、自分が身を引くというのは古くは
椿姫
のような作品もあり、文学作品でテーマとされてきましたが、この物語では、2人が身近な人にだまされて、別れることになったと後からわかっても、その人物を許す、許すしかない状況とはいえ許す、そんな優しい二人が主人公なだけに一段と切ないという展開なのです。
感想
序と第一章までの流れがよく、主人公2人の出会った日の会話が新鮮で驚きがあり楽しかったのですが、そこから、2人があまりにうまくいかないことが繰り返されて、私は読んでいるのが、つらくなり、何度か途中で読めなくなりそうになりました。
2人が出会ったとき、蒔野が38歳、 洋子40歳で婚約者あり という設定なので簡単に上手くいかないのはわかるのですが、この2人がとても純真で優しく、強引に突っ走れないようなところも、そのような展開になる要因になっていました。
この本に限らず、今年の及び、最近の恋愛小説は、恋愛と言うより、濃い友情のような男女関係の要素が強く、でもお互い相手がいないと、寂しくて自分がもたないような関係と言う設定が多いです。
結婚した人は人生最愛の人ですか?
というのも本の帯に書いてあって重要なテーマらしいのですが、人生最愛の人は、繊細な付き合いになってしまって、逆になかなか思うようにいかないということを教えてくれているような展開です。
ストーリー展開としては、読みにくく感じたのですが、主人公2人の内面の声が丁寧に、言葉を選んで書かれていくので、その世界に引き込まれていく人が多いのだと思われます。
この物語には主人公が2人いますが、洋子のほうが結果的にさみしくないのかな、大丈夫かなと私は思ってしまいました。
天才ギタリストの蒔野に運命の女性と初対面で思わせるくらいだから普通の女性ではないのはわかりますが、ベニスに死す症候群でイラクに取材にいって、PTSDになったり、スジをあまりに通そうとしすぎて、自分がつらいことになったりと、魅力的だけど、もうちょっとラクに生きられば良いのにと、もどかしいように思いながら読みました。
そいうもどかしさ、切なさ、悲しさ、どうにもならいないのに、自分より相手を思う主人公達に思いをはせながら、何とか読みきれた小説で、最後まで来ると、読めてよかったなと思えるのでした。
それは相手を思うように、自分のことも思ってくれていた人がいて、過去が未来によって、良かったものに書き換えられると言う経験を、この小説の中でも、最初の出会いの意味、洋子の少女時代の意味を最後のほうで解釈を変えることが ”ある程度” できるような流れになっていたからです。
私には読みきるのが難しい本がこんなに売れているんだなあと、それも感慨深かったです。
過去は未来次第
つらい過去を抱える人は、未来を良いものにすることで、過去すら書き換えられる。そう思えるならこの小説を読んだ価値は十分あるのでしょう。
そして、俺は未来を変えられると思うことは、同時に、過去をあのときああしていればとも考えることができてしまうことでもあります。
それをともかく今出来ることと未来に向けていってやろうということ、そう出来れば素晴らしいし、それができなくてうずくまって動けなくなるのではつらすぎるということも思わされる小説でした。
主人公2人はかなりつらかった時期をそのように過ごして、過去を良いものに書きかけていったのです。
恋愛小説という分類よりずっと広い範囲を語っているという印象を受けました。
マチネは昼の演劇のこと
40前後の2人の主人公の人生の半分の終わりにかけたのかもしれません。
以下の2つの小説に共通点を思い浮かべました。
この世界の片隅に
時代背景も全然違いますが、女性の主人公が自分の運命を受け入れて、淡々と頑張り続けているところに共通点があって健気さを感じました。
4月になれば彼女は(川村元気)
主人公の昔の恋人の姿がどこかこの小説の洋子の姿と重なって見えました。これも健気さについてです。
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