ペンが猫だったら:PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)のペンが夏目漱石の我輩は猫でピコ太郎が主人の話 ボキャブラリー豊富な猫のようなペン
吾輩(わがはい)はペンである。名前はまだ無い。ひょんなことから、
Contents
PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen ペンパイナップルアップルペン ペンパイナッポーアッポーペン)
なるものに使用されたので、
アップルペン
それが通り名になるのかもしれん。
どこの工場で生まれたか見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いトラックの荷台で運ばれた事だけは記憶している。そしてコンビニに陳列された。吾輩はここで始めて
ピコ太郎(PIKO-TARO)という人間を見た。古坂 大 魔王 人間じゃないのか?
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。 このピコ太郎の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に握られておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。ピコ太郎が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗(むやみ)に眼が廻る。胸が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、ブスリと音がして眼の前が真っ暗になった。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
ふと気が付いて見るとピコ太郎はいない。
その上今(いま)までの所とは違って無暗(むやみ)に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。突き刺されていた林檎から抜き出されて放って置かれたものらしい。そうあとからわかってきた。いやパイナップルだったかもしれない。
「どうも甘(うま)く書けないものだね。他のペンを見ると何でもないように文字を書くことに使っているようだか、我輩はいたずらに林檎やパイナップルに突き刺すことに使われている。」これは主人への愚痴(ぐち)である。なるほど詐(いつわ)りのない処だ。彼の衣装は金色に光り角ばった眼鏡越(めがねごし)の主人の顔には汗が光っていた。「そう初めから上手には刺せないさ、第一想像ばかりでペンをうまく林檎にさせる訳がない。」
「へえ、ご主人もそう思っていたのかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」とペンの私も感心しておったが、ご主人の金縁の裏には嘲(あざ)けるような笑(わらい)が見えた。
(この馬鹿野郎。)「吾輩はペンである。名前はまだないとはいえ、なぜそのようにむやみに果物に突き刺すのか」となるべく平気を装(よそお)って冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。
「どうせそんな事をいうだろうと思った。試しに林檎に刺してみたら、やけによく、気持よく刺さったので、お前がペンではなくて、錐(キリ)に思えてきたのだ。」と主人はに気焔(きえん)を吹きかける。言葉付から察するとどうも我輩を錐(キリ)と思い始めているかのようだ。「一体ペンと錐(キリ)とはどっちがえらいだろう?」
「ペンのの方が偉いに極(きま)っていらあな。」
我輩は激高した。
「御めえは今までに何回再生された事がある?」
「そんなこと、我輩は存じ上げぬ」とはご主人に申し上げた。
彼はなお語を続けて「世界のペンのほとんど全てはただの一回も、インターネットで自分の姿を再生されることないまま捨てられるであろう。さするにお前は、私の手に激しく揺り動かされる動画として世界中で数億回も再生されておる。ペン冥利につきるではないか?」
「へえなるほど」と相槌(あいづち)を打つ。
「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。
「ところがおめえいざってえ段になるとペンでありたいとのたまった。」彼はここに至ってあたかも 我輩の筆記用具としての存在意義より、果物に突き刺さる姿を数億回再生されることのほうがはるかに生きがいがあることを確信しているような話しぶりになった。「私も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って林檎にさして小躍りしたら、それがあんまり楽しくて、お前をただのペンだと思えなくなったんだ。お前はペンとしては凡庸だが、林檎に刺す手応えの良さは、私が確かめたので保障できる。いえこれだけはたしかだよ。実際奇警なペンじゃないか、ダ・ヴィンチでも欲しがりそうなペンだね」「なるほど奇警には相違ないな」
吾輩は新年来多少有名になったので、ペンながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
「得難き機会はすべてのペンをして、好まざる事をも敢てせしむ」
「すべてのペンは直覚的に事物の適不適を予知す」
下女たちが果物に刺さっている我輩を見つけた。
「あらペンが林檎とパイナップルに刺さっている」
「いやなペンねえ」
「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び果物の中で窒息仕掛けている我輩を抜き出す。インクは辛うじて、ペン先にとどまっている。製造されたばかりのときのように。吾輩は言った「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」
下女たちが主人の真似をした、
「I have a pen, I have an apple」と歌いながら、林檎にペンを刺し始めた。
「あらいやだ、みんなどのペンでも刺さるのよ」
「いい音(ね)で刺さるでしょう、あたし嬉しいわ」
「ええとにかく角度が大事ですから」
「ここか」「もっと左の方か」
「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気炎(だいきえん)である。奥歯で囓(か)み潰(つぶ)した癇癪玉(かんしゃくだま)が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒(いか)って見える。越後獅子(えちごじし)の鼻は人間が怒(おこ)った時の恰好(かっこう)を形(かた)どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。「いえ泥棒ではありません。この家で下女として住まわせてもらっています。」「うそをつけ。下女が無断で人のペンを林檎につきさす奴があるか」
「そうかなあ、日本とは少し違うね。世界の人は小躍りして真似しますよ。」
主人の忠告など聴く気配はない
主人は、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出(みいだ)すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、ペンと林檎を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。
「誰でもいいから刺して踊りたまえ」
「何が何だか分らなくなった」まで考えて我輩はそのあとはぐうぐう寝てしまったのである。夢の中で
『我輩は猫』になっていた。
なぜか動物仲間のげっ歯類のビーバー君がでてきて、我輩のことを世界に紹介したいと言っていた。
そのビーバーはジャスティンと名乗っていた。
この記事をSNSでシェア