映画『この世界の片隅に』あらすじ 感想 立見の映画館 漫画との違い アニメ化とのんの声でさらに素敵なすずと周作
2017/8/15/追記
再度観ました。この頃の日本人の心が美しく再現されていると再認識しました。
私の祖父母がすずの世代より少し上くらいの世代になります。
自分が10歳くらいまでのあった人たちのことを思い出させてくれるほど、
この映画は、当時の人々の心のありようを再現してくれています。
個人という概念に縛られ過ぎていないで、より自然であった時代の人々の心を。
主人公のすずはそれを一番体現している登場人物だったのだなと、改めて思いました。
再度観ても、涙がでる、素晴らしい作品でした。
12月21日追記——
Contents
本当に美しい作品は個々の心に直接響く
この作品がこれだけ素晴らしくても、ここまで広く反響が広がるとは予想できませんでした。公開される劇場はさらに広がっていきます。
ただし、この作品は個々の観客がその人の感性で、スズや登場人物の心をとらえ、自分なりの感じ方で記憶するのが一番ふさわしいそれだけの美しさがあります。
本当に美しいものは、評論家のように誰かがその素晴らしさ、美しさを規定するよりも、それぞれの人の心に直接響いて、そのまま感じ取るのがふさわしく、この作品はそういうものだと思うからです。(自分もここで色々書いたので多少矛盾していて申し訳ありませんが)
11月15日追記———-
公開か3日間の様子と漫画との違い
新宿テアトルでは封切から 土日月と満員どころか立見も続いています。観客はエンドロールもスクリーンを放心したように見つめて誰も席を立ちません。
特定の場面より、映画を通して、観客の多くが、泣いている空気で、盛り上がるところではすすり泣いている音が聞こえてきていました。
映画では、リンのことが少ししか触れられていませんでした。(時間がとれなかったのか?)また水原哲が最後に尋ねてきたあとの、周作とすずのやりとりがもっと感情的で違いました。
漫画も良かったですが、アニメ化で、すずがリアリティーをもって、観客の心に広がって、見終わった後もすずがこころに残ります。ズット残るのかもしれません。
すずは、自分を主張しないまま、優しく、たおやかに生きて、周囲をなごませることで、人の心に一番強く残っていきます。
きちんと、しっかりと、自己主張もせず、ただ回りのために日々をすごし、自分も幸せで、戦争で悲惨なことになっても、最後は、「この世界の片隅に…ありがとう。」といえるすず。
私達が失ってしまった多くのことをこんなに気がつかせてくれる映画はないです。地味だけど大切なものでした。
『この世界の片隅に』は懸命にしっかり生きようとする戦争前後の昭和が舞台の漫画
アニメ映画化が望まれてましたが、クラウドファンディングでお金を集め、2016年11月12日(土)に公開されることになりました。
この映画は前半で戦争で生活物資が不足してくる中でも、野草を食べたり、ともかくしっかり生活していこう、丁寧に日常生活を守ろうと懸命に生きていくこと、それを丁寧に描くことが、映画全体の感動を上げる中心となる役割を果たしています。
ものすごく丁寧に、当時の情景、建物をどの角度からどのように表現できるか、当時の情景を知る方に聞き取りまでして、作られた、アニメ映画です。
『マイマイ新子』の観客からの監督 片渕須直への期待の高さ
もクラウドファンディングを後押ししました。
『マイマイ新子』(高樹のぶ子原作 片瀬素直監督 アニメ化)
小学生の女の子が主人公にも関わらず、観客のおじさんの涙が止まらなくなるという怪現象起こしました。
宣伝が足りず、封切映画館も少なかったにもかかわらず、評判が口コミやネット上で広がり、一年間のロングラン上映となるアニメ映画でした。
大人が観て泣けてしょうがないアニメなのに、商業的に難しかったのは、小学生が主人公なのに、子供より大人のほうが良さを理解して感動してしまい、観客の対象が不明確になり、広告宣伝も行いにくかったからではないかといわれています。
何故、大人が理由もわからないまま泣けてしまうのかというと、子供の感性を細部まで詳細に新鮮にそれも懐かしくなるタッチで表現されているので、大人が観ると自分が子供時代に持っていたはずの、
そして今はどんなに欲しくても取り戻すことのできない、生命力に満ちた、イキイキとしてキュンキュンするような感性をガラス製の決してあけられない宝石箱の中にある2度と触ることのできない宝物を見るように感じたからでしょう。
”魔女の宅急便”の幻の監督 ”となりのトトロ”の幻のエンディング関わっている片渕須直氏
片瀬監督は”魔女の宅急便”の監督として製作に入りながら、宮崎駿監督でないとスポンサーにならないという企業の一声で、監督を降りる経験もしています。
既に、日本人の多くが繰り返し見ている”となりのトトロ”ですが、数十年後にはひょっとすると、『世界の片隅に』もそうなっているかもしれません。
シンプル・あらすじ
第二次世界大戦の終戦前後の話ですが、主人公のすずは18歳で結婚して、物資の不足する中、広島の呉で健気に、日常生活を守ります。それが戦争で自らも治らない怪我をして信じてた日常生活を失うというストーリーなのです。
どんなに一生懸命守りたいものがあってもだめなときはだめになります。それはつらいですね。でもそれを守ろうと真剣であればあるほど、そこにドラマが生まれます。
ただ、このストーリーだと、『君の名は。』ほどの商業的な成功はしないでしょう。 でも、この映画の一人の観客が、どれだけ感激するか、この映画で涙するかは、映画の興行収入とはあまり関係ないのだと思います。
それが、クラウドファンディングとしては、もっともお金を集めたということに現れているのでしょう。アニメ化を真剣に望む人々がいること、商業的にスポンサーがなかなかでなかったのかもしれません。
感想”普通の生活”をおくれることのありがたさ、その幸せ
原作の漫画の世界を忠実を超えて詳細に当時の街並みも正確に調査しつくして再現したことで、リアリティーが高まっています。
原作で感動した人はさらに感動します。すずの健気さが随所に出ています。物資が不足しても、家族が”普通の生活”を続けられるように、同じお米の量でご飯の量が増える炊き方を試したり、着物を切って、一片の無駄もなく、日常生活で家事をしやすいような服に作り直したり。
それが細部まで描かれていることと、それをどこか普通に淡々と、どこか少し楽しそうにもみえるように、戦争中の苦労も見せずにこなしていき、余計に可愛く見えてきます。
そのすずですら、大好きな絵を描いてきた右手を爆風で失い、心が歪む部分が描写されるころで、これだけ健全で健気で、おっとりして、まず怒らない頑張り屋さんですらこうなってしまう、戦争の悲惨さが表現されていました。
登場人物がそれぞれ優しいです。18歳でいきなり縁談が決まります。嫌いなら断ればいいといわれても、嫌う理由も見つからないから断りようもないと思いながらこの縁談を受け入れ、彼女の明るさに、夫婦の愛は深まって生きます。
恋愛から始まってさめていくことの多い現代の結婚生活と逆なのです。お互いの細やかな優しさは夫婦以外の者にも向けられています。
幼なじみ水原哲が巡洋艦青葉から降りた数日家族にも会わずにすずに会いにきたとき、納屋で二人で一晩すごせるように、周作はそのようにとりはからってあげます。
周作も軍人なので、哲の死ぬ前にすずに会っておきたかった気持がわかったのでしょうが、彼は同時にすずのことも深く愛しているので、度外れた優しさにもみえます。
すずも、白木リン という遊郭の遊女と知り合いになり、彼女が周作と関係があったことを知った後も、周作が彼女にあげられないままだった茶碗を彼女に届けたりします。
この優しさは、この二人が特に優しいことが土台にありながらも、戦争中の前線の兵隊、子供時代に売られた遊女と、大変な思いをしている人へ、
大変ながらも”普通の生活”をしている自分たちが少しでもその心をいたわってあげたいと、自然に、無意識に行動しているようなのです。
哲は普通でいるすずを見れてよかった、と言いました。空襲、原爆、大変な思いをしただけ、”普通の生活”を送れることのありがたさ、その幸せを登場人物は痛いほどわかっています。
急な縁談からのお互いをあまり知らないままの夫婦が戦争で困難に次々に遭遇し、大家族での生活での苦労もあり、それでもすずは物語の最後の方で周作に
「この世界の片隅に私をみつけてくれてありがとう」
と言います。男が言ってもらいたい言葉でこれより心を動かされるものはないのではないでしょうか?すずはなんて謙虚なのでしょう。
この言葉にこんなにも大きく心を動かされるのは、自分の人生にきっと一回もこんなことを言ってくれる女性に会うこともないだろうというだけではないのです。
この言葉を自然に言えるすずの心の豊かさ、美しさへの憧れが一気に自分の心の中に想起されるからだと感じました。
漫画も映画も、最後まで丁寧に見ることでああ良かったなあと、ズット心に残る作品だなあと思いました。
現代はこの映画と大違いで恋愛も結婚もこんな状況担ってます。
->恋愛不全症候群:結婚・恋愛したいけどできない急増
最初と最後にでてくる[ばけもの]
すずと周作の最初の出会いは、すずが8才で海苔を納めに行ったときに、急にひとさらい(?)の化け物のカゴに入れられてその中でに周作が先に捕まえ(入って)られてたというものです。
なんとも現実味がなくて、昔話、おとぎばなしのような話なのですが、そのとき、すずが海苔を一枚つかって、仮装のようなことをして化け物をだまして、逃げられる展開となります。
それが夢のように思っているけど、海苔が一枚足りなくて、父親が納品先に謝にりいったことも描かれています。
そして、物語の最後にもこの化け物が登場します。すずも周作も自分にこんな恐ろしいことをする化け物にすら、逃げられればいいいや、とやっつける気も恨みもなく、そもそもこのばけものを嫌っているわけでもなさそうで、優しいんです。
すずは基本的に、いつもとても優しい。そのすずですら、終戦がきまったとき、みんな死ぬまで戦うはずだったんじゃなかったのかと、こんなこと知るなら死にたかったと
初めて明確に怒りをあらわにします。
それとすずには、いつもいじめてくる鬼のような
鬼いちゃん(お兄ちゃん)がいて、戦死した通知のあと
これで実家に行ってもいじめられないでたすかるとホッとしています。すずほど優しくおおらかな人でも、あまり自分をいじめてばかりいた兄には戦死してもそう思うんだなというのが印象的でした。
米を節約する楠公飯の話
少ない米で少しでもおなか一杯になってもらおうと、すずは楠公飯という米の量が増える料理方法を試します。
玄米を炒ってから、多目の水で炊くことで、炊き上がりの米の量を増やすのですが、味はどうも良くなかっようです。
それでも、北条家の家族たちは 「このご飯をたくさんたべられる楠公は豪傑じゃ」 と少しでも楽しく過ごそうとします。
少しの出来事からも心豊かに幸せに生きること、自分達のために、工夫してくれたすずにまずいとは言うまいとしていたのであろうことがわかります。
試写会を観た人からの感想
主な感想をまとめました。
すずの声を演じたのんを絶賛する人が多数。
のんにすずが憑依したかのようだった。すずがきっとそうであったであろう情景がそのまま浮かぶ声、自然なのに、自然を超えた感動を声だけでももらえた。
一人でも多くの人にこの映画を見てもらいたい。
情景を詳細まで再現している成果、当時の人たちの気持や、食卓に上った料理の味やにおいまで届いてくるようだった。
最初から古典のような迫力を感じた。
戦争を背景にした話は、別世界のように感じたけど、この作品は今の話のように見ることができました。
評価
原作の漫画が丁寧に書かれた名作で、最後まで読んだ読者の心に残る作品でした。 原作に忠実以上の丁寧な仕事をすることで、さらに人の心に残る作品にしています。異常なまでの作品つくりへの執念で、戦争当時の記憶がある人にも徹底的にきいて細部を徹底的に当時のままに作りだしています。当時の街並みをその世界に溶け込めるように、徹底的に芸術的に、良い出来栄えのアニメ作品をつくることで、観客には、無意識にも、当時の人々の、生の感情が自分に流れ込んでくるように感じられる作品となっています。登場人物達が現代人が失ってしまった大切な心、感情を持っているので、それを自分の中に再現できる公がある、貴重な作品になっています。全てに人に高い評価を受けるようなエンターテイメント性が高さではなく、わかる人、この世界を感じられる人にはとても強く印象が残る作品です。
原作:こう の 史代 代表作:夕凪の街 桜の国
も広島の原爆投下後が舞台になっています。
きっと、商業主義で踊らされるばかりでなくて、自分の心がそのまま望んでいる作品を見出せる人々が観客になる作品なのでしょう。
音楽:コトリンゴの『悲しくてやりきれない』
これがゆったりした流れで悲しみを歌っていて、映画と本当にあっています。アニメに負けないくらい丁寧につくられた歌のように聴き取れます。
クールセダーズ1968年がオリジナルの歌
ですが、コトリンゴの声はオリジナルを超えた叙情性を持っています。
声優
北條すず – のん(能年 玲奈)
とても主人公にイメージにあった、天然でおっとりした雰囲気をかもし出しています。
北條周作 – 細谷佳正
黒村晴美 – 稲葉菜月
黒村径子 – 尾身美詞
水原哲 – 小野大輔
浦野すみ – 潘めぐみ
北條円太郎 – 牛山茂
北條サン – 新谷真弓
白木リン – 岩井七世
浦野十郎 – 小山剛志
浦野キセノ – 津田真澄
森田イト – 京田尚子
小林の伯父 – 佐々木望
小林の伯母 – 塩田朋子
知多さん – 瀬田ひろ美
刈谷さん – たちばなことね
堂本さん – 世弥きくよ
スタッフ
原作 : こうの史代
監督・脚本 : 片渕須直
監督補・画面構成 : 浦谷千恵
キャラクターデザイン・作画監督 : 松原秀典
音楽 : コトリンゴ
企画 : 丸山正雄
プロデューサー: 真木太郎(GENCO)
アニメーション制作 : MAPPA
配給 : 東京テアトル
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