SEKAI NO OWARI『Hey Ho』”error”も 支援のブレーメン?変化?聴いてみた。繊細で比喩的で優しく何が正しいか考え続けているような。
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SEKAI NO OWARI, 世界の終わり, セカオワ
この3種類の名前がネット上で見ると同じくらい使われているバンドです。2011年に正式名称を
世界の終わり から SEKAI NO OWARI
に変更しています。このメンバーがこの表記にしたかったということで。
『Hey Ho』が2016/10/5に発売
されます。既にそのMVも公開されています。
この曲は
『Hey Ho』は『RPG』続編
僕ら“RPG”で街を抜けて海へ出て、そこまで来たところから、今船を出そうか迷ってるところに進んできた。そういう意味での“RPG”の続編っていう感じですね(Fukase)
出典 ロックオン 2016年11月号
SEKAI NO OWARIが誤解を受けるかもしれないところ
既に、大人気のバンドですが、MVと歌声のイメージから、誤解されたまま、聴いてない人も多いのではとも思います。
MVは遊園地やテーマパークみたいな作りこまれた可愛いセットであったり、Fukaseの声が甘くてPOPでそのイメージにあっていたり、するのですが、
歌詞や音楽を無心に もっとわかろうとすると、そのままでは重くなり過ぎて伝わらなくなるかもしれない内容を、そうやって伝えてくれているようにも思えます。
だから、まだ聴いてない人は、先入観をとっぱらって、何回か無心に聴いてみることをお薦めします。いきなりファンになる人まだまだ出てきそうです。
最初のバンド名の『世界の終わり」にした由来は、Fukaseが精神病(閉鎖病棟 wikipediaより)で世界の終わりだと感じたときに音楽仲間とそこから何かを始めようとして付けられたそうです。
ということからすると、意味的には
『世界の終わりから始めてやろう』
という表現のほうが実際には近いけど、それではバンド名としては長いから 世界の終わり になったということかもしれません。
『Hey Ho』も曲や歌の雰囲気は、表面上は可愛らしかったり、綺麗だったり、もしますが、歌詞には「ぼろぼろの思い出とか–中略-大事にしたから大切になった 初めから大切なものなんて無い」という深く考えさられたり印象に残るフレーズが詰まっています。それをそのままだと重くなりかねないから、POPに伝えてくれるそんな繊細さとそれを自然に配慮できるバンドらしいのです。音楽自体もソースとなりそうな音源が多そうで、それが自然にユニークに表現の幅を広げているらしいことがわかります。
近未来価値感の世界に、もう 世界の終わり は いる
メンバーたちで一軒家を借りて共同生活をしていて、メンバーの紅一点の (Saori) が 「(Fukase)は 一人じゃ生活できないから」 とつぶやいていて、Fukaseはきゃりーぱみゅぱみゅとつきあっていてと、ネット上にも勝手に噂が広がっていますが、 こんな音楽作れる人達には、彼らなりの価値観があって、それを大切にしているのだろうし、ひょっとすると、近い将来、そういう生活が増えて、当たり前になっていくのかもしれないとも思いました。さみしい人多いのに恋人いない人が多い現代の状況は心に良くないですから->参照(恋愛不全国家) 元彼や元彼女と共同生活しながら、それぞれ、新しい恋人みつかったら、「良かったね、また楽しく、元気になれるね。」 と声をかけられるような関係が普通に認められる社会、そういう価値感にもう 世界の終わりはいるのかもしれません。
のかもしれません。
『ブレーメンプロジェクト』支援という試み
ブレーメンといいう動物殺処分0プロジェクト
をSEKAI NO OWARI はこの『Hey Ho』 発売から支援すると発表しています。
リンク先のサイトを見ると、
「自分たちの音楽をさらに広げるだけでなく、世の中に働きかけられる別の視点も持ちたい」
という、考えになったことがわかります。
世の中には困っている人も色々とあるから、どれから手を付けるのが、一番良いのかはわからないけど、まず何かをしてみよう。
それが、SEKAI NO OWARI の今回では 動物殺処分0プロジェクトだった。ということです。
それが、『Hey Ho』 の歌詞にも反映されています。
それも、とても慎重に。さあ助けにいこう、嵐の海にこぎだそうではなくて、 「この嵐の中 船を出す勇気なんて 僕にあるのかい?」と
そして、「誰かを助けることは、義務じゃないと僕は思うんだ、笑顔を見れる権利なんだ。自分の為なんだ。」とも語りかけてきます。
言行一致で、自分達が本当に思うことを歌い、それをブレーメンプロジェクトで行動にしている。 ということらしいのです。
Radwimps(参考記事)に対しても思いましたが、歌詞も高度で抽象的
シンボライズされていて、中心のファンとなる若い世代の意識が前の世代から大きく変化してきているようです。
昔の若者世代(笑)にはちょっと聴くと、SEKAI NO OWARI の歌は、恋愛ソングには思えないのですが、より広いものに、愛をもつ、確かな ラブソングで、そして、特定の一人の異性だけに恋愛感情をぶつけるような時代から変化が起きてきたのかなとすら、想像してしまいました。彼らの一軒家の共同生活の話からも類推してしまって。
一番良かったMC
2015年日産スタジアムで7万人公園の2日間計14万人に行ったときに、こんなMCをしてます。
「でもここまで俺たちが来るまでも大変だったわけですよ。
「みんなも負けるなってことです!!」
自分たちがビリだった、辛かった、でもやってきた、そして最後このメッセージ。さすがです。
Saoriの魅力について
ちょっと、憂いあるような淋しいのかなという雰囲気表情から、とても嬉しそうな表情をするので、これは目を奪われます。
日産スタジアムの上のMCのときは、「でも 今 僕は……」 のところで、目を右目を右手で、左目を左手で押さえて、そのあと天を仰ぐようにしてますが、表情がなんとも良いです。
『Hey Ho』 では作詞にも参加してますが、この曲名を考えたのは彼女で、これは最初から嵐の海に乗り出すイメージを一発でだすタイトルだったんでしょうね。
過去の発言読むと、言葉が、繊細だったり、論理的だったり、普通の女の子っぽいときもあり、そういうものが自然と表情にでて、音楽にも反映されているようです。
結局、女性の方が、男より、よっぽど感情豊かなんだろうなあと、確信させてくれるかのような、そんな感じを受けました。(確信を感じとか書いてしまったけど。)
Hei HO 収録曲 error の歌詞が不死鳥と対になっている?
errorがロボットが人を好きになることで error を起こす歌詞なら
不死鳥は人がロボットを好きになる 歌詞なので、対になっているのかなと思いました。
それ以上におもったのは、ロボットすら相互に好きになれる対象、人工知能と自然に歌詞にしていることで、世界の終わりは、様々な分野で近未来の価値観、まさに一度世界が終わった後の価値観を歌っているのだろうなあとまた思いました。
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