書評:芥川賞『コンビニ人間 』感想とあらすじ 新しい世界観 50万部突破 究極のダメ男? 部品体験 発売日3種類 主人公をサイコパスする人? 評価追記
12/03-追記-
Contents
11/14でコンビニ人間発行部数50万部突破
本屋には今もコンビニ人間が大量に平積みされています。
他の本を読んでから改めて思ったのが、この本はとても読みやすく、比較的短時間で読みきれると言うことです。
コンビニを利用したことある人がほとんどなので、内容にも親しみをもたれやすかったのだと思います。
著者の村田沙耶香さんの週三回で長期間のコンビニ勤務経験が小説の細部のコンビニ描写に活かされて、リアリティーを高めて、情景を簡単に思い浮かべやすく、それも読みやすくかつ楽しめる要素になっていることに、改めて気づかされました。読書があまり好きでない人も楽しく読みやすい本です。
芥川賞2016年受賞の「コンビニ人間」
非常に面白く かつゾッとさせられる(主人公でなく、主人公をとりまく、普通の人々に対して。) 現代を抉りとる小説でした。
これからの時代を生きるヒントも得られ、かつ今後、話題となることも多い小説となるので紹介させてもらいます。
下のアマゾンの内容紹介の後に、私の解説を書かせてもらいます。
Ver0.4 Ver0.5 ver0.6(追加:究極のダメ男は何故ダメなのか?) ver0.7(追加:部品体験記)ver0.8(掲載雑誌2誌と単行本、新刊中古価格情報追加)
あらすじと感想を混ぜて紹介
主人公”古倉恵子”が変人から可愛い人に見えてくる
この主人公は、変人として書かれていますが、読み進めると、その一生懸命に淡々と、しかも、精一杯合理的で、
自分なりに、社会の一部として、接点をもっていられるように、美しくもなく、ひねくれてもいなく、ただ自分に素直に生きようとしている。
そんな姿が、少しづつ可愛く思えてきました。
ところが、彼女が普通でないことを、親切ぶった周囲の人々、それもおそらく、自分のことを安易に本当に親切だと信じきっている人ばかりか、
彼女を心から愛している家族まで、普通じゃないから、普通にしてあげなくては思っています。
ただ、彼女の考えや行動の何が普通でないかというと、自分を普通と信じている多数派の人々の考え方と行動様式が彼女と違うからとしか説明がつかないことに気づかされてきます。
彼女は、幼稚園時代に、公園で死んだ小鳥をみたら、「お父さん、焼き鳥すきだから、今日、これを焼いて食べよう」と言って周囲をギョッとさせます。
そんな人物描写が小説の導入部からされていて、巧みなストリー展開がなされていきます。
さらに細かく、結局は、その小鳥がかわいそうだからお墓を作って埋めてあげましょうということになり、
公園の 『立ち入り禁止』 と書かれた柵の中に、そのお墓を作ったことに、彼女が疑問を持ったことまで描写することで、何が正しいか考える子供で、世間の正しいが何に対応しているのか子供時代から疑問を感じていたことを、表現しています。
同様の幼少期のエピソードがあと二つ描写され、彼女は貝になります。
そう彼女は少数派だというだけで、合理的で一生懸命で、まともに思えてくるのです。むしろ、周囲の普通とされる人々は、周囲にただ、流され、他の人間の価値観に合わせているだけに思えてくる。
そして、2016年の現在、東芝、シャープ、三洋のような会社を思い浮かべるまでもなく、それまでの価値観で大企業に勤め続けられるような世の中でもなく、そもそも、この普通とされる価値観は
維持できなくなり、現実に、独身率は上がり、出生率は減り、と世の中は大きく変わってきている。
その中で、世間と大きな隔たりを感じながら、自分の意見を表明すると、両親と妹を心配させて悲しませるから黙っていようと、子供時代に心に決めて、なんと小、中 高等学校と必要なこと以外は喋らず、自分から行動しないで過ごします。
そんな主人公自身が 「治らなくては」 と思いながら、自分の居場所を見いだせずに18歳までそのまま過ごし続けてきました。
”コンビ二人間”誕生
学生時代にコンビニでバイトし始めたことで、自分が社会とつながることのできる、居心地のよい世界の部品としての居場所を見出します。
主人公に、”コンビニ人間として生まれる前のことはどこかおぼろげで、鮮明には思い出せない” と回想させているくらい、彼女の人生の一大事だったのです。
世の中に覚醒した人が増えたなら、この主人公こそが、少なくとも もう少数派のままではいられなくなるのではないでしょうか?
人工知能が作る人格は”コンビニ人間”になるか?
ただし、この主人公は、目的を達成するための合理性があまりに強く、これをやると、普通の人がどのような感情的な反応をするかを予想することがとても苦手です。
もし、人工知能が人格を作り出したと想像するなら、一般的な人間より、彼女の人格に近いものに、最初はなっていくのではないかとまで想像しました。
合理的で論理的で正しいことをやっているはずが、一点、大多数を占める普通の人の感情の予測、(事後的な理解はできる)を出来ないために、彼女は孤独なのですが、
その孤独をそれほど、辛いと思っているようでもなさそうなのに、人との付き合いは持とうとして、かつ、その中で自分が孤立することは意識して、気にしていることから実は葛藤しているらしい。
彼女自身、無意識には、何かとつながりたがっている。それが、合理的、論理的なコンビニのマニュアルでなら、それに素直に従うことができ、そのルールに従って、運営されているコンビニに安心感と美しさを感じることができる。 まさに、彼女こそ、体の奥、心の奥からの 真性 ”コンビニ人間” なのです。
忠実な ”コンビニ人間” になることによって、社会の部品の一部になって世の中とつながれる、今まで一度も彼女を満たすことのできなかった、世界との一体感を覚えることができる。
だからこそ、彼女は、コンビニの店員であることに、ここまで、深いこだわりを覚えるのです。
それを、的確に描写して、読者に想起させる、著者の力量の高さと、このような人格の主人公を作り出せる、著者の中の、普通でない部分(異常性といってもいいでしょう)も隠せない内容でした
書評 ver0.6での追加の書き込みをさせてもらいます。
出版社の内容紹介文の最後の2行にこのように書かれています。
”現代の実存を問い、
正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。”
実存って? これ大袈裟なのでは? と思われたかもしれません。私の感想では大げさではありませんでした。
”実存主義” の実存とはシンプルに言えば ”世の中の仕組み、本質がどうなろうが、自分がどうやって生きていくか存在していくかをまず優先して考てやろう” ということです。
この”コンビニ人間” の主人公は、明晰さ、疑問を持つ能力、観察力を持って、自分を取り巻く世界を眺めているので、平均的な人よりむしろ、世の中の仕組みの一部は理解しているように読み取れます。
ところが、その知識によって、精一杯まともに合理的に生きようとすることで、逆に孤独や疎外感、自分を愛してくれる家族すら心配させてしまう変わった存在となってしまいます。
一番、世界と繋がっていられる部品と感じられる世界を ”コンビニ” に見出して、結婚も、恋愛も、他の仕事もせず、36年の人生の丁度半分の18年間を正社員でないコンビニの店員としてただひたすら忠実に”コンビニ人間”として生きることに、自分の最も快適な存在感、存在意義を見出しているのです。
例えば、一生働かないでも生活継続可能な大金があっても仕事を通じて人は社会と繋がっていないと、辛くなっていきます。 自分はどう有りたい存在なのだろうということに、この彼女は ”コンビニ人間”になりきるという自分なりの固有の解決方法を見出し、それを継続してきているのです。 ただ、現代は多くの巨大チェーンストアの店員の中に同様、同種の思いを共有する人は実は既にたくさんいるのかもしれません。丁度大企業に所属するだけで安心感を得られたように。
世の中が大きく変化するとき、全体の枠組みがどう変化するかなんて、実は誰にもそんなにわかるわけがなく、いざとなると、その予測不能な変化の大きい全体の仕組みの中で、自分はどうやって生きていくんだという、切実な思いが強まり、この実存という概念は強まります。いざとなると、社会の中に自分がいるにも関わらず、社会の変化方向がわからないなら、自分だけでも生き抜こうという生存本能が強まるからです。 この小説が今関心を呼んでいるのは、今こそがそういう変化の時代だと人々が感じている証左の一つなのでしょう。
ただ、この主人公は、コンビニの部品となった日から自分が誕生したとすら感じているので、全体の仕組み、システムに、自分の現存在を優先して考えたいという、実存とは違います。
結局のところ、自分って何なんて考え続けても本当の答えなんか見つからなくて、主人公は、システムの部品としての自分を認識できるようになって、自分の存在を認められるようになったいうことなのです。
コンビニ人間の中に出てくる究極のダメ男とは
重要な登場人物として白羽という身長180cm以上で針金のハンガーのように痩せた男がでてきます。
主人公の同僚となっても、まともに仕事しないどころか、ストーカー的な問題もあり、すぐクビになったこの白羽に主人公は常識外れに親切な対応をそれを親切とも自覚せずに行います。
この白羽は小利口であまりに身勝手な自論を次々に繰り出します。 こんなにありえないほど、非常識なほど親切にしてくれた主人公に対してこんなセリフまで吐きます。
「それはね、あんたがおかしすぎたからですよ、36歳の独身のコンビニアルバイト店員、しかも多分処女、毎日やけに張り切って声を張り上げて、健康そうなのに就職しようとしている様子もない。あんたが異物で、気持ちが悪すぎたから、誰も言わなかっただけだ。影では言われてたんですよ。 それが、これからは直接言われるだけ」
これを言っている白羽はコンビニの店員も僅かな期間しか勤まらなかったのに、ここまで親切にしてくれた主人公にこんなことを言って、それでも、彼女は少しも怒らない、何を言われているかもわからいない。
もう、勝手に可哀想にするら思えてきてしまう。ある意味、純真で鈍感すぎて。
(因みに、この小説の著者:村田沙耶香も36歳でコンビニ店員を週3日働いています。それも既にお金を稼ぐ必要なくても。)
ただ、この白羽の発言は一時が万事この調子です。自分のことは完全に棚にあげて、宇宙まで放りあげてないことのように無感覚にして、他の人間をあげつらう。それにより、少しでも自分の感情の辛さを和らげようとしている。頭は本当は小利口なところもあるらしいが、自分の心の辛さを1%和らげるために、他者を100%貶める発言をし続ける。それにより醸し出された当然の結果としての孤独は、主人公に負けないものがある。その孤独に対して、主人公にもあった同情や共感がこの非常識なまでの親切心の一因かもしれないまま、小説の結末まで、二人の関係は続いていきます。
究極のダメ男とは、真実も論理も、自分の心の辛さを和らげるためには躊躇なく自分勝手に意図的に曲解、歪曲し続けて他者を貶め、自分は決して何ら行動しようとしない。まして誰かのために何かをやろうとしない、結果的に自分を最も痛めつけてしまっている男として、この小説に登場します。私は、薄ら寒いものすら感じました。なぜなら、そのダメな部分を私も、また多くの人ともある程度は持っているからです。
これで終わりだと、重すぎなので、雑談追加します。コンビニの店員さんって興味深いです。最近は中国、ミャンマー、ベトナム、タイ、色々な国の人もいてこの小説にもダット君、トゥアン君という外国人が登場し、最初不慣れなのに、他の店員と馴れ合いになるのは主人公よりも上手ににみえることまで表現されています。個人的にはコンビニで、化粧は下手らしく一生懸命働いている女性店員さんをみかけると、本当はもっと綺麗な人のはずだよなあと、想像することが度々あり、それがこの 『コンビニ人間』というタイトルだけでこの本を手にとった理由でした。
ver0.7追加
著者と作品を別ける方が面白い。
著者の
村田沙耶香さん
は、コンビニ人間の主人公と同年齢の36歳(発売時 解説:村田沙耶香生年月日1979年[1]8月14日(wikipedia) コンビニ人間 単行本 発売日 2016/7/27
文藝春秋2016年9月号(コンビニ人間全文掲載 8月10日発売(通常発行部数平均50万、掲載号は臨時増刷されている。
文學界2016年6月号 雑誌 発売日 2016/5/7
)で
大学生時代から長期間コンビニに勤めていることから、
その他にも、主人公と重なる部分が多いため、芥川賞の取材でも、
この主人公は、村田さん自身ではないのかという質問を受け、その度に違いますと答えてます。
これは詮索しないほうがこの小説を面白く読めます。
なぜなら、彼女はプロの作家としての自負を持って、
人間とは何かを表現するために小説を書いているであろうことが伝わってきているので、
彼女の個人的な体験も、それを表現するための、材料として、使われているに過ぎないとわかるからです。
そう捉えて、純粋にこの小説の中身を理解し感じ取ることで、著者の村田さんの書いている時点での
想像を超えた、理解すら読者はすることができます。それが読書の醍醐味ではないでしょうか?
部品体験記
この小説の主人公が一番ライブ感、生きがいを感じているのは、
コンビニ店員に徹することで、社会の部品になることでした。
私は、年齢的にコンビニは難しそうなので、試しに 家庭教師のトライ に登録して
家庭教師をやってみました。家庭教師の試験もありましたが、なんとかパスできました。
かなりシステマティックになっています。そして、実際に教えてみると、確かに、ライブ感、生きがいを感じました。
この小説から学び読者の実生活に活用できることはまさにこれかと思われます。
大きなシステムの末端の部品としても、実際に体験してみないとわからないことは多く、
その体験から、元気、勇気、次につながる何らかのものを手に入れることができます。
何も試さないまま、くすぶっていると、上でかいた究極のダメ男、白羽さんに近づいてしまうかもしれません。
主人公をサイコパスと決め付ける人?
この主人公をサイコパスと決め付けて、この小説の書評、感想文を書かれている方々がいらっしゃいます。
wikipediaからサイコパスの特徴を抜き出して考察してみます。(サイコパスについて厳密に掲げると長くなりすぎるので簡易的な特徴で考察させてもらいます。)
サイコパスの特徴
犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
1.良心が異常に欠如している
主人公はモラルを保とうという意識がむしろ普通より高く、良心もむしろ高いようですから当てはまりません。
2.他者に冷淡で共感しない
これもむしろ普通より他者に優しいことが、いくつかのエピソードからわかります。ただ共感されることを事前に予想できないところが、変わっていますが、あてはまらないといいっていいのではないでしょうか。
3.慢性的に平然と嘘をつく
とても正直で、むしろ正直すぎてこうなっている主人公ですからまるっきり当てはまりませんね。
4.行動に対する責任が全く取れない
子供時代のエピソードで、喧嘩している男子をいきりなりスコップで叩いて黙らせるところは、責任取れないでしょうが、子供時代のエピソードであることと、正常とされる大人も責任取れない行動はよくしているので、全く責任が全く取れないという表現には当てはまってないと見ていいでしょう。
5.罪悪感が皆無
自分が他人と違うことで居場所がみいだせないことから、コンビニ人間になったともとれるので、罪悪感が皆無にはあてはまらないですね。
6.自尊心が過大で自己中心的
自尊心は過大なところは小説の中に見当たりません。自己判断が世間とずれることはありますが、それは自己中心的とは違うのであてはまりません。
7.口が達者で表面は魅力的
主人公はむしろ全く逆のタイプとして描かれているので、まるっきり当てはまりません。
こうやってみてくると、この主人公はとてもサイコパスという表現が当てはまるタイプとはおもえません。
では何故、
サイコパスと決め付ける人々が出てきた理由
芥川賞選評の中で島田雅彦氏がこのように書いたことが源流のようです。「セックス忌避、婚姻拒否というこの作者にはおなじみのテーマを『コンビニ人間』というコンセプトに落とし込み、奇天烈な男女のキャラを交差させれば、緩い文章もご都合主義的展開も大目に見てもらえる。巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者くらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう。」
島田雅彦氏は選考委員の中で、コンビニ人間に最も低い評価をつけていますが、この選評も別に、”主人公はいずれサイコパスになり” とかいているので、小説の中の主人公が既にサイコパスになっていると評価しているわけではありません。ただ、これに影響を受けて、主人公をサイコパスと決め付ける、感想文、書評が出てきているようです。
サイコパス誤解はこの小説の本質と関わる大問題
この主人公は、他者の心、共感を事前予想することが苦手なものの、一生懸命、合理的に、優しい気持ちで、こうあったほうが良いのではと考えて生きています。でも世間とずれているので、それが理解されないまま、社会と接点を持ちにくくなって、コンビニ人間になることに、生きる道と喜びを見い出しています。
そして、この小説自体まで、内容を理解しないまま、主人公をサイコパスと決め付けて、自分達が理解できない特殊な人と位置づけることで、考えないで、自分がわかった気になれる方法を選んだ人達がでてきているということのようです。
多くの人は、自分が理解できない、あるいは理解するためにはよく考えないといけないことに対しては、誤解でも、一定の決めつけをおこなって、わかった気になりたいこと。それにより、決めつけられた対象に問題が生じることより、自分がわかった気になれる安心感を優先することが、小説の中の他の登場人物からの主人公への思いだけでなく、読者の主人公への感想にまで拡大していることが、興味深く、根が深いことです。 そしてこれは、この小説で表現されている、多数派と似た感性を持たないだけで、愛すべき感性を持っていても、社会から阻害されしまうことが多い、人間の生きづらさを、感想文にまで広げていることになります。
評価-ネタバレ含む
連想した小説(「仮面の告白」(三島由紀夫)、「異邦人」(カミュ)との比較
この小説は上記2作品と共通点があります。
1.主人公がその時代の常識に自分の本能と言えるほど深い情動を適合できずに苦悩または戸惑っていること。
2.最終的に、自分の本能に従うことで変人扱いされるが、常識人よりよく考えていること。
この2作品と比較してしまうと、文章の詩的美しさや、人間の内面の克明な描写、表現力では劣っていますが、
時代性、現代の問題、現象を本質的に深く抉っているという点では負けていません。
現代の人類の転換点を迎えているかもしれない状況の中で、コンビニ店員という巨大なシステムの一部になりきることにしか生きがいを見出せないかのような人間。
恋愛も、性欲も、怒りも、湧いてこないのに優しさはある主人公をわかりやすい文章で描くこと、それが常識人からみて変人に見えても、実はそういう人間は急増しているであろうことを想像させる内容になっています。
全人類が発展途上国までスマホを長時間見続けて恋愛や性欲への欲求自体が減ったかのような現代。人工知能に、既にゲームでは人類が全くかなわなくなった現代。
そんな現代に生きる人間は大きく変化してきているのに、今までの常識に縛られたままの人がまだ多数派である現代。
主人公と同様の人は現代では急速に増えているはずです。そして、コンビニに限らず、大きなシステムの一部品として生きることに安住の地を見出しているはずです。
この主人公が一度は捨てたコンビニに、白羽の必死の説得も省みず最後はまた戻っていくことがそれを象徴しています。
現実に恋人の居ない人も出生率もこの10年で驚異的に減ったことのデータはこちらにあります。
->恋愛不全症候群:結婚・恋愛したいけどできない急増
著者は自分の感性と経験をこの小説にまとめることで、上記のような人類全体の大きく本質的な変化を個人の観点から表現する社会的インパクトの大きな仕事をしたと言えると思います。
この記事をSNSでシェア
主人公の名前の漢字間違ってます
ご指摘ありがとうございました。修正します。