外人は何に驚いたか「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」 海外の反応も
天皇陛下のお言葉を読んでいなかったのですが、海外でも大きなニュースとして取り上げられたため、
外人から、意見を求められることがあり、読んでみて、私も驚きました。
それは、高齢による公務執行の不安についてというこのお言葉の要旨ではありません。
リンク先で虚心坦懐にお読みになることを強くお薦めします。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)(宮内庁へのリンク)
例えば、四段落目の最後にある文章はこのお言葉の中でも特に象徴的です。
「皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。」
天皇は「国民を思い、国民のために、祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛を持って成し得てたことは、(おそらく自分にとって 筆者追加)幸せなことでした。」 と極めて、自然で当然のことであるように語りかけて下さっています。
昔の日本の道徳教育を受けた方からすれば、これは当然と受け止められるのことなのかもしれません。
しかし、現在の、日本も世界も、資本主義はおかしな状況で、お金、地位、名誉をもとめ、自分が勝つことを求めて、仮に結果を得られても、虚しい気持ちに苛まれることに気がつきながら次の一手が見いだせない状況にいます。
人間は何を求めているか、混迷しだしているこの世界で、天皇はあっさりと、国民という、自分以外であるものに信頼と敬愛をもち、そのために祈るという務めをできて幸せだったと、自然に語りかけてきてます。
この部分英語では”I feel, has been a great blessing.” と表現されています。 ”happiness” ではなく”blessing”という言葉が使われていますが、これは神の祝福、神からの恵という意味もあります。
外人から、見れば、日本人が尊敬し、日本人の象徴である天皇は、自分のことより、他者を心より尊敬し、その幸せを願い続けることで、自分は、神からの祝福を受けるくらいの深い喜びを感じることができたとも解釈されているはずです。
そして、それは、現在行き詰まりかけている西洋文化にどっぷり浸かった文化圏の知性人にとって、新しい、確かな、価値観への方向性を諮詢してくれているようにすら感じられたから、驚いているのでしょう。
我利我利亡者という、自分の利益ばかりを追い求めて、他人を卑しめることで、亡者になるという意味の言葉があります。西洋文明はこの言葉を単純に否定できないものであり、その結果が今の文明で、お金はないと困るが、たくさんあれば幸せと感じられるのは既に我利我利亡者になった者ばかりで、心ある人はそれだけで、幸福になれないことを知っているのが今の社会ではないでしょうか?
その次の価値観を多くの人が求め始めている時に天皇は、”私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。” と前置きした、お言葉の中にも、他者を思いやる言葉ばかりを述べ、その中で自分は深い幸せ、(英語では神の偉大な祝福をうけたに近い表現をされている)を感じることができたと、何の力みもなく自然におっしゃっている。
これを普通の西欧文化人が読んだら、心ある人なら、この天皇という、人は、自分たちにない、気高い何かを持っている。そればかりか、人類が次の世代で持つべき至純な価値観を指し示してくれている。そう感じられて、それで驚かれているということなのかもしれません。
とは、言え、第二次世界大戦中は戦争を駆り立てる言葉を発せざるを得ない立場にいたであろう天皇の戦争責任を追求し続けた人達もいて、絶対視は危険だという考えも、今もあります。
批判精神を失い、一つの考えに固執することは、危険性を上げることにもなります。
現に、この天皇のお言葉と、それに対する日本人のまるで神を讃えるかのごとき態度は、画像でまで海外にBBCからも配信されました。
猜疑心の強い、日本とは違う文化圏の人々からみたら、気高いかもしれんが、よくわからない、自分たちでは予想できない方向に進みかねない国と思われてもいるかもしれません。
これからの日本のためにはおそらく、天皇のお言葉の根底にある、人間が本来持っている美しさへの理解を、自分の心に落とし込みながらも、
同時に、世界の有り様を現実的に受け入れて、実際に活躍できるように、国や文明、自分自身のあり方は柔軟に模索して対応していくことが大切になるのかと思いました。
追記1 (武蔵野陵墓地で数年前の大工事で分かること)
大正天皇と昭和天皇が眠る、武蔵野陵墓地 では、実はもう数年前、平成天皇が外科手術をお受けになった頃から、
大規模な工事が進められています。ここには宮内庁の職員も常駐していて、当時は、その工事は何のためか質問すると
はぐらかしていましたが、今や、あっさり平成天皇の健康状態が優れないから準備が必要と話してくれます。
天皇は、ご自分の立場での責務を全うするために、私心をあまり出せないでしょうから、
凡人の自分には辛いこともおありのはずだと、凡人が能力の中での想像をしてしまいます。
それらをひっくるめて、自然に、滔々と、幸せでしたと発言できる天皇の素晴らしさと、
その日本語が、英語ではblessingと表現されていること、それは天皇の意志で翻訳されたものなのだろうか?
そのシナリオはだれが作るのだろうか? と不思議な感じもするのです。
昭和天皇が崩御されたとき、僕は失恋して、しょうがなくテレビを見ていた時に、
昭和天皇の、学習院で子供時代から同級生で、どこかの教授をしているご学友へのインタビューを見ていたら、
「陛下は、私には、君が羨ましいよ。君は仕事が嫌なら、明日からルンペンになって、寝るところなど、駅にでも寝て、好き勝手に暮らせるだろう。自分にはそれができない。それがとても辛いと、おっしゃってくださいました。」 と言いながら、泣いているのを見て、なんて大変なお務めであることか、そして、それを子供時代からの友達には吐露されていたのだなあ、それを感じ取って泣いてくれる人がいたのだなあと、とても印象的に記憶していたのでした。
追記2 (海外で最も大きく取り上げられる日本のニュースとしての天皇と国ごとの違い概略)
この天皇のお言葉 「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」発表時に我家に丁度、アメリカの大学生が泊まっていて、このニュースがどれだけ海外で大きく報じられているか、その内容について、日本人としてどう思うかと意見を求められました、’(因みに、その学生は、心理学博士のお父さんから、子供の頃から新聞とニューズウィークを読んで感想を述べなければならない環境で育ったそうです。)
欧米系とタイのメディアでは、生前退位の説明、現在の日本での天皇のルールでとしての皇室典範の説明、それと自国の王室との対比という形式で紹介されていました。
英国は、英国王室と、イタリアはローマ法王と、タイ、ベルギー、スペインも自国の王室と。
韓国はほぼ同時に速報を出し、あれだけ反日報道の強い韓国ですら、このことでは韓国とゆかりのつよいと比較的友好的な報道でした。韓国の方と話すと、百済と天皇家の親戚関係の話しになることも多く、親しみがあるようです。ただし、韓国は天皇でなく日王と表現することで、若い世代の多くが漢字を理解しなくなっても、漢字の上で勝手に表現上の位置を下げています。複雑です。現在の韓国に王室はないので、それとの比較報道はできませんので、されていません。
中国は慎重に事実だけを伝えて、コメントは避けてましたが、日本のメディアのこのお言葉は”護憲”のためになされたという部分を引用したとのことです。従軍慰安婦問題もそうですが、イデオロギーは国境を超えて連帯するため。特に左系のものは、日本国内のメディアがそれを焚きつけて、海外で大火事にして、日本に押し寄せるという形式となりやすいようです。今回はそこまでいってませんが。これは根が深い問題なのでここではここまでとさせてもらいます。
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