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聖の青春:感想:夭折した悲劇の棋士 村山聖 死後18年で映画化の理由:松山ケンイチ(主役)東出昌大(羽生役)音楽(秦基博)

 2016/10/24 文学部 映画学部
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聖の青春(さとしの青春)のモデル村山聖が非常に愛される理由

『聖(さとし)の青春』が出版されたのは2000年のこと、村山聖がなくなった2年後のことでした。

その本は売れただけでなく、読んだ人のほとんどが感激して泣いてしまう本でした。

翌年には

藤原竜也(主演)(かなり村山聖とイメージ違いますが)テレビドラマ化

されているほどですから、その反響の大きさがわかります。

棋士という、一般的には、タレントやスポーツ選手ほど有名とも言えない職種に賭けた人のノンフィクション小説にこれだけ注目が集まったのはなぜでしょう?

2016年11月 松山ケンイチ(村山聖) 東出昌大(羽生善治)で映画化(映画内容は下の別項目で)

実に死後18年も経ってから、これだけの人気俳優達が演じて映画化されました。出版直後に『聖の青春』を読んで、何度も読み返して、その度に泣けてしょうがなかった私が当時の記憶をたどって説明させてもらいます。

このノンフィクション小説『聖の青春』は主人公の村山聖の悲劇と対照的に、ノンフィクション小説を構成する要素として、これ以上ないくらい恵まれた条件が重なっています。

村山聖という類まれな魅力と悲劇を同時に持った、どこまでも優しくて、自分の限界を極める、超えるまで将棋で強くなろうと生命を燃焼し尽くして、儚く切なく、病魔に犯されながら精一杯に彼の全てを将棋の戦いに捧げ完全に力尽きて亡くなった実在の主人公。

その主人公を支えた同じようにどこまでも優しくて魅力的な彼を愛した彼に接した人々。その中の一人で、東京においては彼のアパート探しから、合鍵やお金の保管までしてあげて,まるで保護者のような役回りをして、彼をとてもよく理解し、それを精一杯表現しようとし、文章表現力も素晴らしい 将棋にも仕事として深く関わり理解の深い

大崎善生がこの小説を書いたことです。

彼の名文により、村山聖はより多くの人に知られることとなり、今も、この原作を読むことで、時間を超えて、彼の真剣でお茶面なところもある、息遣いを感じられるような魅力に接して感動する人が出てくるのです。

小説の出だしから、ミステリーじみた話で、読者を引き込んで行きます。聖がとても活発で、お兄さん大好きな子供で、一緒に山を遠くまで歩き回って、蛇(まむし)を殺した翌日から、まるで、マムシの呪いのかかったかのように、発病するところから物語は始まっていきます。これで将棋に興味のない読者も、この先をずっと読まざるを得ない感覚になります。

ネフローゼという重い腎臓病で、発熱やだるさがしょっちゅう起きるのに、聖が動き回りたくてしょうがないこと。

入院と学校がセットになったような施設で少年時代を過ごすこと。

そこでは、となりのベッドの子どもが夜中に喘息の発作を起こして、翌朝にはいなくなり、霊安所もあることから、子供たちは命の儚さを実感し、自分もいつそうなるかと怯えていたこと。

聖は将棋を覚えることで、発散するエネルギーの注入口を見つけたように熱中し、将棋の名人になるという夢、希望、目標をもち、心に元気を取り戻していくこと。

将棋の本を読み続け、自分が知らない漢字ばかりで書かれた本すら、「何度も前後を読み返せば大体わかるんじゃ」 とまで言っていること。

聖にとって、将棋がどれだけ生きる希望を与えてくれたかが、描かれていきます。

多くの人が最初に涙するであろう聖13歳のエピソード

聖はどんどんと強くなっていきます。一度負けた大人にも、決して諦めずに、研究してすぐに勝つようになるので、彼の出身地である広島周辺にはまともに戦える相手を探すのが難しくなります。そのため、関西に引っ越して、棋士の養成機関である奨励会に入ろうとします。両親は、彼が一度言い出すと親の言うことでもきかないのをよく知っているので、彼を説得できるように親族会議を開きます。親族には教育関係者が多く校長先生もいました。その場で、13歳の聖は「俺を大阪に行かせてくれ」「俺には時間がないんじゃ。」「俺には谷川浩司(当時の名人で若くして、名人位をとり聖の目標となっていた)を倒して名人になる時間がないんじゃ。谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ。」 土下座して、この精一杯このお願いを繰り返すことで、親族にいた校長先生まで、「目標もない若者が多い中で、聖は立派だ。」と言いだし、彼の関西行きを認めることになりました。

僅か13歳にして、自分の命が長くないこと、その命を精一杯自分が目標と定めた将棋に使って、名人になることをここまで、決意していたこと。それが、読者の心を強く打ちます。その切ない真剣さが、魂の核からそのまま叫びだすような言葉が、読者の心まで大きく揺り動かすのです。

ところが、大人の実に勝手な都合(関西の棋士で聖が自分の弟子になることになっていたと強硬に主張する厄介な人がいて)で、聖の奨励会入りは、一年待たされることになり、彼は絶望し、それによって病状は急に悪化し、「俺は死ぬことは怖くない。大人の嘘が怖い」という言葉を吐かせます。

でもこの出来事により、彼が、親以上の存在という師匠との共同生活をすることになります。森の絶望する聖への配慮もあって。

森信雄という親以上に親密な関係となる師匠との生活開始

森信雄を最初に不思議だなと思わせるのが、聖にあった最初で、将棋もささずに、この子の面倒は自分が見ると、直感的に瞬時に迷いなく、決断していることです。それも、ネフローゼでまん丸に膨らんだ顔、母の言うことも聞かず、靴下も履かずにきていること、そういうことは一切関係なく、その目を見て、病気に苦しみ続けてきながらも、全く卑屈さのない真っ直ぐなその目をみて、彼を弟子にするというより、彼の面倒を自分がみると、即断していることです。それは、聖がそう思わせるだけのものをもっていたのでしょうが、それをすぐに、強く感じ取れるものをこの森信雄という人物が持っていたということになります。

このとき、森 30歳 村山聖、13歳 だったハズです。(昔読んだ本なので間違ってたらすみません。)

住居は6畳と3畳の部屋しかない森のアパートで、聖の寝場所は3畳。しかも、聖はしょっちゅう体調悪いというより、基本的にいつも体辛いらしく、細々とした買い物や、聖が入院中は(普段の生活もだったかもしれませんが)パンツの洗濯まで、師匠の森がやってあげるという生活です。師匠と弟子ということで表現できる関係ではなくなっていきます。お互いがお互いに良い影響を与えたようです。森は、プロの棋士でしたが、酒や麻雀にかなり時間をつかい、弟子をとることで、生活を変えようともしていました。それが、この聖という少年と生活していくなかで自分も良い影響を受けてきたようなのです。

『聖の青春』の中で特に印象的な部分があります。確か新宿の公園で、この本の著者の大崎善生森信雄があっていたところを、偶然(!)に聖が通りがかります。森は聖に細々した注意を与えたあとに、手を出させて、それを暖かく自分の手で抱えたあとに「まあまあやな、大丈夫そうやな」 とつぶやいたそうなのですが、それを見てた、大崎は、まるで、犬の親子の愛情のように、相手をまるごと包むような崇高な愛情を感じたというようなことを書いていたことです。

大崎善生森信雄は外見が冴えずハゲかかってしおれた感じまで似ていて、優しく、いきなりお互いのボロアパートの住まいを東京のネグラ、大阪のネグラにしあい、ゴミをどけて、ソファーに眠り込むような関係だったそうですから、そう感じた大崎の言葉はそのままなのでしょう。この奇妙な森と聖の生活は宝物のような幸せな生活でした。本人達だけにしかわからず、大崎のようにごく近しい男にはそれが想像つくものだったらしいのです。二人のあいだには二人にしかわからない強い愛情がありそれは幸せなものだったらしいのです。無理に想像すれば、この聖の純粋さ夢への無垢な思い、それを手助けできること、本人のなんともいえない、愛嬌にふれることは、森にとってとても幸せなことだったようです。その後、森を取材した人は、聖の死後10年以上たっても、聖のことになると、森が何度も涙ぐむと言っているくらいですから。

聖は奨励会を3年かからず駆け抜けてプロになりました。あの羽生善治ですら3年ちょっと奨励会の期間があります。しかも、彼は、このときも病気と戦いながらなのです。ただただ、将棋のためにほとんどの時間をつかっていたようですが、少女漫画やミステリー小説も大量に読んで過ごしていました。これは、彼が将棋だけでなく、恋愛にも憧れていたからでしょう。

先崎学(3月のライオン、将棋監修 棋士)との出会いと弔辞

先崎学は実は小学生低学年のときに、羽生にも勝ったことがある、天才将棋少年で 米長邦雄の内弟子でもありました。

最近でこそ、『3月のライオン』の将棋の監修もしてコラム欄でも当たり障りのない穏便なことを書いていますが、かつては、NHKの解説で師匠米長の一手を「豚のような手」と平然と酷評し、それがその通りだったので、あの米長をして、NHKは受信料払う価値があるなあと言わしめています。若い時から麻雀と酒浸りだったり、万引き経験を告白していたり、あと師匠の米長から見ても、小学生時代に既に株の相場観をきちんと自分の意見として述べていたりと、かなり自由奔放に独自の価値観でやってきた方です。その感性が聖と通ずる部分があったのでしょう。2人で酒を飲み過ぎて、急性アルコール中毒で聖はそのまま病院で点滴を受けることになり、その間、先崎は勝手に、聖のカバンから推理小説かなにかを抜き出してそれを読みながら彼の回復をまつということを2回やっています。彼の聖への弔辞は、彼の聖への深い思いをさらりと伝える名文で、今の棋士のあいだで読まれいています。ネット上にも出ています。)

先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」

聖は、東京へでてきて、同年代の棋士に接しながらさらに、将棋の強さを磨いていきました。そんな彼が、この先崎や他の親しい人に、2つの夢があると打ち明けています。

1.名人になること。そして早く将棋をやめて普通の生活をしたいこと。

2.恋人を作り、普通の結婚をすること、死ぬまでに女を抱きたいこと。

名人になりたいはずっと言ってますが、名人になって将棋を辞めたいとは、もう将棋やると辛いのに、勝たねばという執念でやっていたところと、もともとあまりに優しい性格で、自分の髪の毛や爪、不潔な自宅のダニですら、生き物を殺すのはかわいそうだといって、そのままにしていたのに、将棋は結局、自分が勝つことで、他の棋士を殺すことだと感ずることがあって、子供時代ほど、勝っても単純に喜べなくなってきたようです。だから、自分の夢の名人は絶対に諦めたくない取りたい、でも取ったらやめたい。

恋人欲しいは、少女漫画大好きなロマンチストの聖の関心は将棋と同じくらい、恋愛にもあったということなのです。だから、これだけ将棋に真剣で、時間がないと吠えていたのに、少女漫画については、自分で買いに行けないものまで、師匠や、大崎さんにも頼んで集めて、読み続けていたのでしょう。特に、死ぬまでに女を抱きたいというのは、切ないですね。

膀胱がんで亡くなるまでに起きた壮絶なこと

聖はこれだけネフローゼという腎臓の病気で苦しんでいたのに、結局、膀胱癌が原因で亡くなりました。

それも、検診に行く前に、血尿が出続ける、自分がガンではないかと心配していることを、知り合いに打ち明けながらなかなか検診に行きません。

これは彼がネフローゼになる前に、度重なる発熱を町医者に風邪と診断されて、治療が遅れてしまったことと重なります。

これだけ勇気ある人でも、検診にいくのが気が重かったのかもしれません。

膀胱がんの手術は男性機能を失わせ、生殖能力も奪うので、彼の結婚して子供をもつという、名人より、遥かに遠いと(自分の体では無理と)思っていた夢が、完全に不可能となります。

手術をためらいますが、結局受けて、手術のわずか一ヶ月後、尿道にも管入れたままのような体調で、復帰戦を行い壮絶な戦いで、この体でこんな戦いをする男がいるのかと、棋士と将棋ファンを唸らせ、しかもただ、あとは桂馬を置けば、勝利が決まったところで、何故か、他の悪手をうって、結局負けます。体力的に限界で思考が継続できなくなったのか、普通の手を打ちたくなかったかは、わかりませんが。

彼は、ガンのことは家族以外には知らせないようにしてました。あの親以上の関係と彼自身が言っていた、森師匠にもです。

森師匠は、結婚しましたが、その結婚式での、聖の挨拶は、淡々とまた多くの人をユーモラスな口調で笑わせてますが、結婚することを、マスコミから知ってそれまで、自分に話してくれなかったこと、普通弟子に話しますよねと、語りかけていることが、グッときます。犬の親子か兄弟のように、重なりあうかのように生きてきたらしい師匠と弟子が、師匠の結婚と、弟子のガンのときはお互いに、最後まで自分から相手にそれを告げてないのです。 小説に書かれているとおり、犬の親子のような関係で、親が子犬をわざと突き放して、一本立ちをうながし、それでもついてこようとする子犬(聖)にわざと冷たくして、実は親もつらいと、そんなことを繰り返して、二人は、ある程度距離を持った普通の師匠と弟子になっていったのです。

聖の最後の将棋の試合が手術直後のあまりに無理な状態で、行われていることには、一つには、彼にはやっぱり将棋しかないという、壮絶な覚悟が、死を直前にして一段と高まっていたことも想像されます。

彼の思いを想像するとき、こちらの心にあまりにもそれが強く訴えかけてくるので、涙を誘わずにはいられないのです。

頭がボケると、将棋に悪影響があると考えて、鎮痛剤も、放射線治療も拒否して、結局、ガンが再発して、彼は故郷の広島の病院で最後を迎えます。森師匠は両親と連絡をとり、他の仕事の用事でという言い訳をつけて、彼のもとを訪れようとしますが、その直前に彼はなくなります。最後に、見かねた医者が処方したであろう、鎮痛剤が点滴に加えられて、自分の痛みが楽になるときに、何を入れたんだと怒って、最後は将棋の棋譜の言葉を口にして。激痛の時にモルヒネを処方されていたのであれば、それは普通の人がモルヒネ使うのとは比較にならないほど、助かる、安らぐことなのです。

見事な人生でした。

村山聖がここまで愛された理由、生きていることを大切にするとは

病気で自分の人生の持ち時間が少ないと分かっても、彼のように自分の夢に忠実に、その時間を燃焼尽くせる人はまず滅多にいません。それをやり、そのためには13歳でも周囲の大人を一途な思いで説得するなど、彼以外に聞いたことがありません。自分には今しかないこと、それを13歳で強くうったえ、そのままそれに正直に生きていったこと。そして、自分の辛さ、自分の子供時代を過ごした、施設での他の子供たちの辛さも知った上で、彼は、優しさを持っていた。それはそのへんに、うんざりするほど溢れている表面上の言葉の優しさではなく、仲間が、奨励会の年齢制限で棋士を諦めた日の飲み会で

「お前は負け犬だ」

といって、殴り合いの喧嘩になるような表現となることもありました。でも言われた相手もその言葉に奮起してその後の人生の励みとなる言葉となりました。聖が悲しみをこめて真剣に負け犬だといった思いがつたわったのではないでしょうか?

とことん正直で、ごまかしがない純粋さも彼がここまで愛された理由の一つなのでしょう。

また病気で、死を意識しているから、発想が、考え方の根本が今を大切にする、時間を大切にするというものになっているのも、一般の人間には魅力的に見えます。本人は真剣なだけなのでしょうが。

彼は体調が悪いとき、アパートの水道をわざとポタポタ垂れるままにして、その音を聴くことで、自分がまだ生きていることを確認してしのいでいたそうです。

その体調で、一切のハンデなしで、将棋の世界のトッププロ達と戦い、羽生善治とも互角の成績を残しています。

パラリンピックにすらでれないような体で、オリンピックの金メダルを取ろうと真剣に戦い続けていたかのようにすら見えます。

その純粋で真剣で強い思いとその影でそれ以上に強く願っていた、普通の結婚生活への憧れ。様々な思いと経験を通じて、しかもそこでひねくれないことで身につけた優しさ そんな男を心ある人達は愛さずにはいられなかったのです。彼の死を知らされてから、将棋会館では、一週間ほど、誰彼となく、よく泣いていたそうです。

どんな人でもせいぜい長くて100年の人生です。先の心配より、今を大切にしたい。愛情を持ちたい、持たれたい。人と強くか関わりたい。彼は子供時代から、人生の短さを身近に感じ、同時にそれでも真っ直ぐな素直な気持ちを持ち続けられたことで、類まれな魅力をもち、それを忘れたくない人たちが今も彼を愛しているから、死後18年後に映画化となったのかもしれません。

 

映画『聖の青春』は誰に向いていいるか?注目点

『聖の青春』小説で読んで感動した人は観ないともったいないくらいの映画になってそうです。男で真剣に何かに取り組んでいる、あきらめたことがある、でもまだ何とかしたい、挑戦したい、命の大切さを知りたい。そういう人はみて感動するはずです。 デートで彼女と見る場合は、適しているかどうか、彼女の好みを良く考えたほうが良いでしょう。 女性が好きで、男がみると面白くない映画があるように、この映画は、男の方が感動する可能性が高いです。女性で小説に感動した人もいますが、割合としては男の方がずっと多かったです。レビュー読んでも。 女性とデートで一緒に観て一緒にこの映画で泣けるくらいならきっといいカップルでいられることでしょう。でもそれは彼女を良く見ないと賭けになるかもしれません。

俳優もスタッフもこの映画に関わった人の発言、行動が真剣で、小説の世界、実際の村山聖の経験を良い形で映画化していることが伝わってきます。原作者の大崎氏も10年もかかったけど最高の形で映画になった述べてます。松山ケンイチがすっかり村山聖になりきっていて、久しぶりに聖に会ったという感想を述べている人もいるくらいです。

配役
村山聖 – 松山ケンイチ

ネフローゼでまん丸の村山聖を演じるために無理やり食べ続けて、20kgも体重増やしたということが話題になっていますが、聖の役を一生の仕事で、演じきれないほどの仕事で、この役では台詞も全て自然にはいってきたと発言しています。リップサービスだけでは底まではいえない真剣さが伝わってきてます。ネクタイは村山聖が本当に使っていたものを映画の中で使っているそうです。また村山聖を関わった多くの人にあってとても真剣に本人に忠実に近く、かつ表現したい世界にあった役柄つくりをしていることが伝わってきています。

羽生善治 – 東出昌大

東出昌大は189cmあって、身長だけで羽生善治とはイメージがかなり違うかと思ったら、外見の印象をそっくりにしてきました。羽生喜治が当時つけていたメガネを借りて、演技をしています。これだけイケメンでで杏と結婚していて、若くて、もっと浮ついていてもおかしくないのに、これまた真剣に役つくりに打ち込んできたことが伝わってきました。発言等から。

森信雄(聖の師匠) – リリー・フランキー

森信夫のちょっとしおれた雰囲気をリリー・フランキーが出せているようです。

聖の母・トミ子 – 竹下景子

小説の中では、しょっちゅう広島から新幹線で駆けつけて、掃除してくれたり、世話してくれるお母さんで、丈夫な子に埋めなかったこと、ネフローゼになる前に治療に連れて行けなかったことをすまないと思っている役です。竹下恵子がこの役やるとどんなかんじになるのかという興味もわきます。40年ほど前には、お嫁さんにしたいタレントとしても話題になったこともあり、知的、セクシー、意思の強さを感じさせる女優さんです。

弟弟子・江川貢 – 染谷将太

江川貢は小説ではあまり印象に残る人物ではなかったのですが、というより小説では記憶にありませんでした。染谷将太は他の映画でも若いのに高い演技力(彼の主演の”ヒミズ”は驚かされました)を見せてきているので、彼の配役は小説とは違う持ち味になるのかもしれません

病床の村山をサポートするプロ棋士・橘正一郎(モデルは滝誠一郎) – 安田顕

滝誠一郎さんはもともと、森信夫に村山聖を弟子にとらないかと持ちかけた人です。東京では、親子ほども歳の違う聖との同年の友人同士のような笑えるエピソードが展開されてます。小説では、森、滝山、村山と心の中の風景が似ていて、それでこんなに気が合うんだろうという、紹介をされてました。

東京にきた聖と交流するプロ棋士・荒崎学(モデルは先崎学) – 柄本時生

先崎学をモデルにした荒崎学を江本明の息子さんであるこの方がやられるんですね。小説の中でも、東京で先崎学と飲めたこと話せたことを村山聖が喜んでいたことが書かれています。上の彼の弔辞も素晴らしかった。先崎学は、自由奔放で、率直で、それも、聖と意気投合できる大きな要素だったと思われます。

聖の父・伸一 – 北見敏之

「東京の師匠」として村山を支える将棋連盟の職員・将棋雑誌編集長・橋口(モデルは原作者の大崎自身) – 筒井道隆

原作者大崎が恥ずかしがったのか、映画では、彼も(先崎学も)本名じゃなくてモデルになった人物になっています。本名でやって欲しかった。そのほうがリアリティー出るし。

監督 – 森義隆

森義隆の今までの作品TVも含めてみるとノンフィクション、ドキュメンタリーを多く手がけています。商業的な成功より、自分の撮りたいものにこだわりたいきもちのつよい監督にみえます。

長編映画

「ひゃくはち」(2008年) — 監督・脚本
「宇宙兄弟」 (2012年) — 監督
「聖の青春」 (2016年) – 監督

短編映画

「畳の桃源郷」(1999年) — 監督・脚本
「カル」(2000年) — 監督・脚本

脚本 – 向井康介
原作 – 大崎善生
プロデューサー – 滝田和人(株式会社グラスホッパー)

主題歌 – )「終わりのない空」

秦基博は声の魅力が高く、映画に叙情的な味わいを強める音楽を作れるミュージシャンです。

彼の声はハンサムボイスでファンが多いです。思いっきり甘いのに、結構しゃきっとしているというか。

彼は

秦基博 代表曲 ”鱗”  ”アイ” ”朝が来る前に” ”ひまわりの約束”~「STAND BY ME ドラえもん」主題歌~

特に ”アイ” は愛を信じないといっていた男があなたに会ってそれを知ったという概要の歌詞で、そんな風に愛されたいという女性のコメントが着くような歌と歌声です。この映画にを一段と感傷的にする音楽を提供するかと思います。 (映画って音楽で左右されるところ大きいなと、 最近では 君の名は。と Radwimps と組み合わせで再認識しました。)

映画 聖の青春 公開日 2016年11月19日(土) 全国で大々的(MOVIX TOHOシネマ イオンシネマ ユナイテッドシネマ その他)

こんなに大々的に映画公開するとは!! きっと強気の将棋で知られる、村山聖も天国で驚いていることでしょう!! 映画化まで18年かかったということは、別の見方をすれば、読んだ人には深い感銘をあたえるけど、映画として商業的に大成功するかは、絵になりやすい題材とは言いかねるので判断が難しくて、そこで時間がかかったということもありそうですね。 試写会がこれだけ大々的にやられるのも、観た人は泣いて、それを誰かに話してくれて、観客を呼んでくれるだろうという狙いがあるのかもしれません。

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